公開 2025年6月12日/更新 2025年6月12日/9 分で確認
2025年6月、「NRF 2025 Retail’s Big Show Asia Pacific」が開催されました。アジア太平洋地域最大級のリテールカンファレンスとして、世界中の業界リーダーが集い、小売の未来を語り合いました。テーマは「Retail Unlimited」。顧客体験からデジタル戦略まで、小売業の無限の可能性に光が当てられました。
今回、筆者もこのイベントに参加し、多数のセッションを聴講しました。 また、各社のブースでは、多くの小売業のプロフェッショナルと意見を交わし、 非常に刺激的な時間を過ごせました。
本稿では、筆者が現地で触れた印象的な論点を抜粋し、これからの小売に求められる視点をお伝えします。
強く印象に残ったのは、テクノロジーが進化するほど、「顧客中心」という原点に立ち返る必要がある、という問いかけです。
現代の消費者は、オンラインとオフラインを自在に行き来し、利便性と同時に、ブランドとのつながりや体験価値も求めます。複雑で、ときに矛盾した期待を抱える“ハイブリッド消費者”と向き合うために、私たちは今、何をすべきなのでしょうか。
パーソナライズの重要性は今や言うまでもありません。中国や世界各地のSam's ClubとWalmartで20年間オムニチャネル事業を率いてきたJordan Berke氏が述べたのは、「The End of the Anonymous Customer」、つまり匿名顧客との取引を終わりにせよ、という強いメッセージでした。
一期一会のような匿名取引は、ビジネス成長の障害になりつつあると指摘され、顧客を深く知り、店舗でパーソナライズされた関与を持つことで、「小売業者はその顧客から12ヶ月間で30%もの売上増を見込むことができる」といった具体的な数値まで示されました。これは、パーソナライズが「当たり前」であるべき、という認識を強く示すものです。
また、ブランドがビジネスの健全性を測る指標も、チャネル中心ではなく、顧客中心で捉えられることが当たり前に変化しています。購買の95%が数千万以上のロイヤルティ会員経由であるリテール企業では、チャネルごとの売上ではなく「顧客生涯価値(LTV)や月間アクティブユーザー(MAU)」へとシフトさせ、短期売上よりも長期的な関係性構築に注力する流れが、業界全体に広がりつつあります。
顧客を深く理解した上で、次に問われるのは「どう繋がるか」です。特にZ世代は、単に商品を買うのではなく、その背景にあるコンテンツやストーリーを重視します。彼らにとって、ブランドは自己表現の一部であり、共感できるエンターテイメント性が不可欠です。
講演企業においても、顧客参加型のコミュニケーションへのシフトが見られました。例えば、7-Eleven Singaporeは、「喉の渇きや頭痛といった緊急時に利用する場所」という認知から、「食べ物と一緒に楽しむ場所」へとブランドイメージを転換する過程で、YouTuberとのコラボレーションやキャッチーなアプリソングといったコンテンツに投資し、トレンドを作り、若年層の心を掴んでいます。また、米国内に1,400店舗以上を展開し、幅広い美容製品とサロンサービスを提供する小売企業Ulta Beautyは、顧客をブランドストーリーへの巻き込むことを、重要度の高いチャレンジと捉え、従来のマーケティングの4Pに「Personalization」と「Participation(参加)」を加えた6Pを提唱し、熱狂的なファンを育成しています。
こうした潮流は、もはや一部の若者向けブランドに限りません。顧客がブランドに「参加」し、共感し、シェアしたくなる体験を提供できるかが、小売業が消費者と真のエンゲージメントを築くための重要なチャレンジとなりつつあります。
AIが人間の仕事を奪うのかは、よくある論点ですが、複数の講演者からは、「AIは人間を置き換えるのではなく、むしろ私たちの仕事を強化するもの」と表現され、マーケティング活動の強力なパートナーとなることが強調されていました。AIは単純業務の反復作業を代替し、従業員をより戦略的な業務に集中させてくれる存在、つまり、AIは「補完者」として人間と協働する未来像が語られていました。
確かに、生成AIを用いた取り組みは、展示会会場含め多数見られ、実装段階に入りつつある点は感じつつも、完全に代替される未来像は想像しづらい印象でした。
また、実装に時間がかかる背景には、テクノロジーの進化速度だけでなく、データの断片化や不完全な顧客プロファイル、そして時代にそぐわない企業文化といった、以前から指摘される変革の遅れが根本にあるという指摘もありました。つまり、AI時代の到来を目前に、企業がこれまで蓄積してきたデータ、組織文化、システムといった基盤を、いかに有効に活用できるかが、あらためて問われています。
これら旧くて新しい課題ですが、テクノロジーの進展が加速度的に進む今、その重要性がより現実味をもって、企業に突きつけられているのではないでしょうか。
中国一の高いロイヤルティを誇るオムニチャネルのリテール事業者Sam's Clubを成功に導いたAndrew Miles氏が残した「土台がなければAIの力は2倍にしかならないが、土台と目的の明確さがあれば10倍になる」という言葉がそれをうまく表現しており、AI導入そのものではない点が、より重要な差別化要因になる可能性を秘めています。
AIが進化を続ける中で、小売のあり方を根本から変えうる新たな動きとして、AI Agentの概念が注目を集めていました。
AWSのセッションで紹介された「Agentic Commerce」という考え方は、顧客一人ひとりに、スタイルや予算を完全に理解した専属の買い物コンパニオンがつく世界です。このAIエージェントは、単に商品を推奨するだけでなく、「顧客に代わってウェブ全体、インターネット全体で買い物」をし、購入プロセスを完了させます。AIが顧客に代わって、複数ブランドを横断し、最適な商品を見つけ、購入を完遂する未来です。
実際に、生成AIから小売サイトへのトラフィックは昨年7月から今年2月にかけて12倍に急増している、と述べられ、ブランドは消費者に直接語りかけるだけでなく、「エージェント」にどう選ばれるかが重要になりつつあります。これは、従来のSEO(検索エンジン最適化)から、AIO(AI最適化 / Agentic AI Optimization)という、AIエージェントによる選択基準に合わせた最適化時代の幕開けが予感されます。
こうした顧客接点のあり方も劇的な速度で変わりゆく中、ブランドは改めて、手法ではなく、顧客理解と関係構築という、上述の本質的な活動に立ち返っているような印象を受けます。
筆者がもっとも印象に残ったのは、こうした不確実性が高い時代に、成功企業は消費者が抱える「矛盾(パラドックス)」に新たな価値を見出している点です。
KPMGのIsabelle Allen氏は、現代の消費者が「パーソナライズを求め、プライバシーも求める。持続可能性も求めるが、30分で届くものも求める」——そんな矛盾した性質を持つ存在であると指摘しました 。このような白黒つけがたい領域で解を出すことは、難易度が高い一方、大きな収益機会となることも述べられました。ファミリーマートのセッションでは、「コンビニ×ファッション」という異色の組み合わせで、アパレル売上500%増といった急成長を実現するなど、曖昧なカテゴリーの開拓が大きなビジネスチャンスを示しました。
曖昧さや矛盾を受け入れ、それを乗り越えるアイデアを創出し、ストーリーを作ることが、これからの成長のポテンシャルを秘めているのではないでしょうか。
筆者は、AIが発展し、ROIの最適化を追求した結果、皮肉にも「同質化」の未来が訪れる、と予想しています。AIが当たり前の時代、他者に遅れを取らないように必須で投資すべき要素ではあっても、ブランド企業誰もが採用した結果、直接的な差別化要因にはなりづらくなる可能性があります。
テクノロジーの進化は圧倒的で、つい目を奪われがちですが、NRF APACで感じたのは、その逆でした。ブランドが顧客との繋がりを深めるために、人々の心を動かすために、どうあるべきか。
テクノロジーが進化するほど、マーケティング活動の中の「人間らしさ」が、より一層重要になる時代が訪れようとしているように感じます。
本レポートは、NRF Retail’s Big Show Asia Pacific 2025のセッションを基に筆者が独自に整理・分析したものです。記載の数値・引用は登壇者の資料・発言に拠り、第三者による検証は行っておりません。
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